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2024/10/29
知財トピックス[翻訳部コラム]熱交換器は何をするものか?#7
[翻訳部コラム]は、普段は特許翻訳を担当する翻訳者・翻訳チェッカーが、業務を通じた考察をもとに執筆いたします。
熱交換器は何をするものか?
-主体が「現象の起こる場所」であるケースにおける翻訳の諸問題をめぐって-
7. 図式化の試み-『動詞意味論』(影山1996)を参考に
「熱交換という現象」の抽象的議論と、具体的な英文の登場人物(refrigerant, air)とをうまくつなげるため、熱交換器にて起きている現象を図式的に記述してみることにしましょう。
A.[流体の熱エネルギーが移動する。]
B.[冷媒が(媒体となり)Aを引き起こす。]
C.[熱交換器がBを促進する。]
Aは流体の熱交換という現象そのものの記述であり、Bでは流体としての冷媒がAに代入されたときにAが起こることが言われています。そして熱交換器はBを引き起こすものだ、と言っているのがCです。熱交換器にて起きている現象は、実はこの入れ子になった3層の命題として表現できると言えるでしょう。さて、今後の議論のため、いま、CAUSEという抽象的な記号を導入し、上の内容を以下のように書くと約束してみましょう。
X CAUSE Y
で、XがYを生じせしめる、成立させるといった意味と定めます。理解しやすさのために英語の文法用語を用いると、Xは節を含む名詞相当語句、Yは基本的には節で書かれる内容となるでしょう。以上から、上記ABCを書き直します。(媒体となり)は議論のわかりやすさのため一旦無視します。
A’. [流体の熱エネルギーが移動する]
B’. 冷媒CAUSE [A’]
C’. 熱交換器 CAUSE [B’]
さらにこれは、
D’. C’ CAUSE [室内空気が冷える]
のように応用することもできます。なおこれは筆者独自の書き方ではなく、言語学の意味論という分野では比較的一般的な記法(「概念構造」とも言われます)を取り入れたもので、特に、このあとでも触れる言語学の専門書『動詞意味論』(影山太郎著、1996年)(注1) からの借用を意識したものです。ただし、筆者の説明を言語学的に厳密なものだと主張するつもりはもちろんなく、ここでの議論のための図式であることをことわっておきます。
なお、X CAUSE YのYに文法的には「節」として書かれる内容(あるいは「命題」)があらわれるとき、そこには主語述語の存在が想定されます。このY内部の主語述語にはたらきかけるという側面でCAUSEの役割は「使役」と呼ばれますが、もちろんこれが英語のcause to doについて言われる通常の文法用語としての使役と意味的に重なる部分がある点は留意しておいてよいでしょう。(注2)
(注1)
Kageyama, T. (1996). 動詞意味論. くろしお出版.
(注2)
実はCAUSEとは、「他動性」を表現する記号であると言われます。他動性とは何でしょうか。あることがらが放っておいても起こりえたのではなく、外部の何かがそれを引き起こした。そのことがらが動作主とその動作とで記述されるとき、「何か」が動作主にはたらきかけたと分解する。ここに見いだされるものが他動性です。
具体例をみてみましよう。He died of cancer. はCancer killed him. と意味内容的に同じですが、Cancer CAUSE[he died]と分解できるというわけです。古語的ですが「癌が彼をして死に至らしめた」。因果関係は英語ではcausationといい, 使役動詞はcausative verbといいますが、使役の概念が因果関係に根差していることが示唆されています。そしてkill = cause to dieに明らかなように、「他動詞」は基本的に使役動詞と本動詞とで置き換えが可能なのです。なおCAUSEの引き起こす結果の帰着する先は、他者である場合と自身である場合があり得ますが、この点は下で整理します。
さて、上記では熱交換器にて起きている現象を、命題の入れ子構造として記述してみたというわけです。ここで、CAUSEの右側にはかならず状態変化を伴う結果があらわれています。
では、たとえば、A’を
流体CAUSE[熱エネルギーが移動する]
と書くことはできないでしょうか。できそうにも思うのですが、「流体が温度変化という結果を生じせしめる」とはどうも抽象的で、何を言っているのかよくわかりません。かわりにたとえば「流体は温度変化という現象を経験(EXPERIENCE)する」とできるなら、より素直な記述として受け入れやすいのではないでしょうか。♯1のコラムで川端のサイデンステッカー訳について「乗客視点の経験」と書きましたが、この温度変化は流体が熱交換器を抜ける際に経験されるものと言えるので、たとえば冷蔵庫の庫内空気という「流体視点」の経験としては、「熱交換器を抜けると熱交換後の世界であった」でしょうか。こう書くと半ば冗談のような話にも聞こえますが、記号EXPERIENCE自体は前掲書(影山)からの借用であり、本コラムの目的に沿うように再定義したものです。この点は後で説明します。流体は熱交換器を通過するうちに温度変化を経験しており、他方で熱交換器はその構造によってそれ自身以外のものである流体の熱交換という現象を引き起こしている/促進しているというわけです。
そこで、ある行為、動作、はたらきといったものの「結果の帰着するところ」がそれ自身にとどまるか、それ自身以外におよぶかという点に着目して、記号CAUSEを細分化してみることにします。
具体的には、
【CAUSEからEXPERIENCEの派生ルール】
結果が他者または自身に帰着する他動性をもつ行為を示す記号:CAUSE
結果が自身のみに帰着する他動性をもつ行為を示す記号:EXPERIENCE
とします。CAUSEからEXPERIENCEをこのように派生できることにして、上記を書き換えてみます。
A’’. 流体 EXPERIENCE [熱エネルギーが移動する]
B’’. 冷媒(-as-medium) CAUSE/EXPERIENCE [A’’]
C’’. 熱交換器 CAUSE [B’’]
このように書いてみると、冷媒が対象の温熱を吸収し温度低下を引き起こす側面ではCAUSEをとり、それによって自身の温度が上がる側面ではEXPERIENCEであることがはっきりします。ここで、(-as-medium)は一度無視し復活した「(媒体となり)」であり、この両面性を有することのマークだということにしましょう。熱交換器については、それがなんらかの不具合を起こしており、積極的な熱交換機能が失われている場合には、
C’’’. 熱交換器 EXPERIENCE [B’’]
も可能でしょうが、熱交換の構造に保障され意図された機能の記述はCAUSEであるべきでしょう。このC’’’ つまり「熱交換器 EXPERIENCE [B’’]」は、たとえば熱いコーヒーカップが隣にある氷の入ったグラスに偶然接触したときのような状況です。
以上の整理が受け入れられるならば、熱交換器が「何を」行っているのかといえば、
CAUSE [B’’]
であり、展開すればこれはつまり
CAUSE[冷媒(-as-medium) CAUSE/EXPERIENCE [A’’]]
さらに
CAUSE[冷媒(-as-medium) CAUSE/EXPERIENCE [流体 EXPERIENCE [熱エネルギーが移動する]]]
であり、要するにこれは、英語日本語交じりで書けば、
is configured to cause 流体 to exchange heat with X
であり、2流体の存在が前提ならこれは
is configured to cause 流体1 to exchange heat with 流体2
に他なりません。かくして、さきに「技術的に解像度が高い」と書いた内容は、ここでは熱交換器を、結果が他に帰着する「熱交換現象」の「原因」としてとらえ(CAUSE)、その「現象」における登場人物に二つの流体があることまで記述する、と言い換えられることになりそうです。流体はといえば、熱交換という自身に帰着する現象を経験する際に、みずからが部分的に原因でもある(EXPERIENCE)というわけです。
<6.熱交換器を主語とする日英文―記述の解像度
>8.比喩の可能性―”heat exchanger exchanges heat”の分析
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